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福岡地方裁判所 昭和29年(ヨ)563号 決定 1954年12月28日

申請人 田中要

被申請人 日本炭業株式会社

主文

本案判決確定に至るまで、被申請人が申請人に対して昭和二十九年八月二十八日なした解雇の意思表示の効力を停止する。

申請費用は被申請人の負担とする。

(注、無保証)

理由

第一、申請人の主張

一、申請人は、石炭の採掘販売を業とする被申請会社(以下単に被申請人という。)が福岡県下において経営する鉱業所の一である新山野鉱業所の従業員であつて且つ日本炭業株式会社新山野鉱業所労働組合の組合員である。

二、申請人は昭和二十九年六月二十四日(又は二十六日)被申請人に従業員として採用されたのであるが、同年八月二十八日被申請人から被申請人と右労働組合との間の労働協約第二十条第一項第六号の規定により三十日の予告期間を与え、同年九月二十六日を以て解雇する旨の解雇予告をうけた。

三、しかし右解雇はつぎにのべる理由によつて無効である。

(イ)  申請人は「試用期間中の者」ではない。

右労働協約第二十条第一項第六号は、組合員が「試用期間中の者で従業員として不適当と認められた場合」には会社はこれを解雇すると規定し、試用期間については同協約第十九条が、「(1)新たに採用された従業員には六十日の試用期間を設ける。(2)試用期間中である理由を以て労働条件について一般組合員と差別を設けることはない。(3)試用された者が試用期間をすぎ、引続き採用された時は、勤続年数については試用の当初から採用されたものとする。」と定めている

ところで申請人が被申請人に採用されたのは、すでにのべたように昭和二十九年六月二十四日(又は二十六日)であつて、右の解雇予告を受けた同年八月二十八日にはすでに六十日を経過していた。従つて労働協約の右条項による本件解雇は無効である。

(ロ)  また、申請人に対する解雇の効力が発生するとされる右昭和二十九年九月二十六日においては、申請人についての六十日の試用期間はすでに経過している。従つて、申請人を解雇するにはすでに右期間を終つた組合員として為すべく、これになお右労働協約第二十条第一項第六号を適用して為した本件解雇は無効である。

(ハ)  かりに申請人が昭和二十九年七月一日採用されたとしても、本件解雇予告は所要の三十日の期間を置いて為されていない。

被申請人が同年八月二十八日、申請人に対し同年九月二十六日を以て解雇する旨予告したことはすでにのべたとおりであるが、右の間には労働基準法第二十条所定の三十日が置かれていないからこの瑕疵ある解雇予告に基く本件解雇は無効である。

(ニ)  申請人は「従業員として不適当」な者ではない。

申請人は被申請人の従業員(鉱員)としての適格において何等欠けるところはない。しかるに被申請人が申請人を右労働協約第二十条第一項第六号により「従業員として不適当」な者と認めて解雇した理由は、採用にあたり申請人が昭和二十四年迄シベリアに抑留されていた事実及び従前の勤務先である佐賀県伊万里山代町楠久炭坑において労働組合の役員をしていた事実をかくしいづれもこれがないように経歴をいつわつたというところにある。しかし詐称した事実そのものはいづれも申請人が鉱員であることを妨げるものではない。又、経歴を詐称したということも、申請人としては、現在の社会情勢下にあつて、やつと見付けた職場を失うまいとするところから止むなくしたものであつて、このこと自体が申請人との間の雇用関係をもはや継続出来ないようにする程重大な信義誠実の原則に違反する事実であるとは到底考えられない。

してみればこのような理由で、申請人を「従業員として不適当」と認めて解雇することはまさに労働協約の右規定の解釈を誤つたものであり、しかも解雇権の濫用であるというべきである。従つて本件解雇は無効である。

四、ところで申請人は被申請人に対し右解雇無効確認の訴を提起せんとするものであるが、現在離職しており、その日の衣食にも事欠く生活を続けているのであつて、右本案判決の確定をまつていては、償うことの出来ない損害を蒙ること必定であるから、右の間、本件解雇の意思表示の効力を停止する旨の仮処分命令をもとめる。

第二、被申請人の主張

一、本件仮処分命令申請を却下する。申請費用は申請人の負担とするとの裁判を求める。

二、申請人主張の前示一記載の事実のうち、申請人がその主張の労働組合の組合員であるかどうかは知らないが、その余の事実は認める。

三、右二記載の事実のうち、採用の日を除き、その余は認める。

申請人が主張する昭和二十九年六月二十四日は、申請人が被申請人に対し採用に際し差出すべき書類を予め記入交付した日であり、又、同月二十六日は申請人に被申請人の担当責任者である労働係主任が面接した日であり、その際両人間で同年七月一日から稼働しその日から雇用することと定めた。従つて申請人を採用したのは同年七月一日であり、解雇予告をした同年八月二十八日はなお労働協約所定の試用期間中である。

四、右三の(二)記載の事実のうち、被申請人がその解雇権を濫用したとの主張は否認する。

五、右四、記載の事実は否認する。

第三、証拠<省略>

第四、当裁判所の判断

一、被申請会社の新山野鉱業所の従業員である申請人が被申請人から昭和二十九年八月二十八日労働協約第二十条第一項第六号の規定により同年九月二十六日を以て解雇する旨の予告を受けたことは当事者間に争のないところであるから、右が試用期間中の申請人に対してなされたものか及び右は有効であるかどうかについて当裁判所の判断を示す。

二、申請人は何時採用されたか。

いづれも真正に成立したと認める甲第二号証、乙第二号証の一乃至五、同第三号証の一、二、同第四号証、同第十号証、永光太吉の陳述書(第一回)に申請人の審尋の結果を合せ考えると、申請人は従前勤めていた佐賀県伊万里山代町楠久炭坑が閉山となり離職したので被申請会社新山野鉱業所に勤めている従兄弟の田中数義に依頼し履歴書を提出して、被申請人に採用方を申込んでいたところ、出頭するようにと右田中数義から連絡があつたので、昭和二十九年六月二十四日右鉱業所に出向き同所の労務係の伊藤係員に会い、身体検査をすまし、鉱員名簿(甲第二号証、乙第一号証)に所要の事項を記入した。而して同月二十六日、担当責任者である労務係主任の永光太吉に面接し、二、三の質問を受け採用されることに決定したので申請人から希望として、従兄弟のいる三坑で採炭夫として働きたいと申述べ、荷物の整理等のために一旦郷里にかえり七月一日から稼働するとのべて、永光の諒解を得た。而して、申請人は現実に七月一日から、三坑で仕繰夫として稼動したこと及び被申請人は申請人に対し右七月一日分から賃銀を支払い、又健康保険についても右七月一日に資格を取得したものとして手続をしたことを認めることができる。

右のように採用することが一応決定した日と、採用予定者が現実に稼働した日とが異る場合、いづれを以つて、前示労働協約第十九条にいう採用の日すなわち試用期間の始期となすべきであるかは、被申請会社の如き鉱業所における鉱員の採用の実質に着目して判断すべきものである。思うに鉱員の採用の如きは年間を通じ随時企業の必要に応じてなされるのであるから、経営者にとつては鉱員の労働力を現実に把握した時点を以て採用の日とすることが最も確実である。けだし、かくせざれば、使用者として単に賃銀の支払のみならず、その他被用者に関する諸種の事項の処理に迷うことになるのみならずかく解することが試用期間は使用者が被試用者の採否を調査するに必要なる期間である観点からみても当然というべきである。又これを鉱員の立場からみても、現実に労務を提供した日に、採用されたものと考えるのが、けだしその通念であろうから、この時点を採用の日としても何等不利益は生じない。前示永光の陳述書及び石坂秀一の陳述書によれば、被申請会社においても、やはり、鉱員が現実に労務を提供した日を以て採用の日としており、これは九州地方における大多数の鉱業所の採るところであることが明らかであるが、この様な取扱は右に述べた観点からすれば、正当として是認出来るところである。

従つて申請人について別異の取扱がされた事情やこれをなすべき事由の存しない本件にあつては、申請人は右認定のように現実に稼働した七月一日に採用されたものと認めるのが相当である、尤もそれ以前に、鉱員名簿に記入したり、永光労務主任に面接して採用の旨告げられてはいるけれども、それは採用の準備行為乃至予定なるに止り、これらの事実のあつた日に、雇用契約が成立したと考えることは出来ない。

してみれば労働協約第十九条にいう試用期間は、右七月一日から六十日の後である同年八月二十九日の経過とともに満了することになり、同年八月二十八日に為された解雇の予告は、申請人の試用期間中になされたものといえる。従つて申請人の前掲三の(イ)主張は理由がない。

三、試用期間中の者を解雇する場合には、解雇の意思表示が右期間中に為されれば足るか。

前示労働協約第二十条第一項第六号は従業員として不適当と認めた試用期間中の者を被申請会社は解雇し得るものとしているが、この場合三十日の予告期間を与え或は三十日分の予告手当を支給することを要することはいうまでもない。従つていわゆる予告解雇の方法によつた場合、解雇の意思表示は試用期間中に為され、その効力は、これが経過後に生ずるという場合(本件はまさにその場合である。)を生ずることがある。かかる場合、右条項の適用上解雇の効力の発生が試用期間中になければならぬとは考えられず、解雇の意思表示即ち解雇予告が試用期間中に為されておれば足るものというべきである。思うに右労働協約上試用期間なるものを置いた所以は被申請人が既に認定のような比較的簡単な方法で鉱員の採用を決定している現状であるので、採用の後鉱員として不適格な者を生ずることは免かれずこのためこの間に現実に稼働せしめて被用者の能力を実質的に調査せんとするところにあると解すべく、この期間中は相当大巾な解雇権――あたかも採否の決定の自由と対応する如き――の行使を被申請人に許容しているものと認められる。従つて、労働協約の右条頃の趣旨はもし、被申請人において、或る従業員を不適当と認める場合には、この期間中に解雇の意思を表示して、雇用関係を更に継続することを拒否することを得しめんとするものであると解するを相当とする。

右の次第であるから申請人の前掲三の(ロ)記載の主張もまた理由がない。

四、右労働協約第二十条第一項第六号による解雇にはどのような要件が必要であるか。

右認定のように被申請人が試用期間中の従業員を解雇する場合には、この期間中に解雇の意思表示をすれば足るのであるが、その際に三十日の予告期間を与えるか又は三十日分のいわゆる予告手当を支払うこと(右労働協約(甲第一号証)第二十三条、労働基準法第二十条、第二十一条参照)という形式的要件のほかに、「当該従業員が従業員として不適当」であるという実質的要件を要することはいうをまたない。ところで被申請人が申請人を解雇するについて右要件を具備していたであろうか。

(イ)  申請人に対する解雇予告が昭和二十九年八月二十八日に、同年九月二十六日を以て解雇するとして為されたことはすでに認定したとおりである。してみると労働基準法等において期間の計算につき民法と別異の規準によるべき特段の理由は何等存しないのであるから、右予告は所定の三十日に一日不足する瑕疵あるものである。してみれば右解雇予告即ち解雇の意思表示は右瑕疵により無効であるといわなければならない。けだし、試用期間中の者に対し被申請人は右認定のような相当大幅な解雇権を有する以上、その行使の形式的要件を厳格に解しても被申請人に対して特に難きを強いることにはならないし、しかも予告期間の如きは使用者として解雇にあたり当然遵守すべきところであるからである。永光太吉の第二回陳述書によると被申請人は昭和二十九年十月十四日に申請人に一日分の平均賃金を支払い申請人は異議なくこれを受領したことを認め得るが、右事実は何等右認定を左右するに足らない。何となれば、労働基準法第二十条第二項(右労働協約第二十三条)に規定する予告手当の支払による予告期間の短縮即ちいわゆる予告手当による予告期間の買取りは、正規の予告期間の存在を前提とし、且つその期間中になされることを要するものと解すべきであるからである。

(ロ)  つぎに実質的条件について判断する。永光太吉の陳述書(第一、二回)によると、被申請人が申請人を従業員として不適当と認めた理由は、申請人が昭和二十四年迄シベリアに抑留されていたのに、昭和二十一年から、右楠久炭坑に勤務していたように履歴書に記載したこと及び右楠久炭坑において労働組合委員長等いわゆる組合専従者であつたのにこれがないように申述し、採用にあたりその経歴を詐称したというところにあると認められる。

まことに採用にあたり経歴をいつわることは、道徳的見地からは確かに批難に値することではあるが、これを法律的評価と混同することは厳につゝしむべきことであると考える。従つて、経歴を詐称したことが従業員として不適当と認められるためには、詐称した経歴が客観的にみて当該企業の能率乃至採算に影響を及ぼす場合であるか又は、経歴を詐称するという行為によつて当該従業員がその企業の全労働秩序をみだし或は使用者との間の信頼関係を破る場合であることを要する。

これを本件についてみるに、申請人が昭和二十四年迄シベリアに抑留されていたこと及び前勤務先で組合専従者をしていたことがあることは、そのために申請人が被申請人の従業員たる適性において欠けるところがない限り何ら企業の採算乃至能率に客観的な影響を及すものではないと云はなければならない。而して、永光太吉の陳述書(第一回)によると、申請人の勤務成績については何ら非議すべきところはないことが明かであるから、かかる経歴そのものは、申請人を従業員として不適当と認める理由にはならない。つぎに、経歴を詐称するという行為が、全労働秩序乃至は被申請人との間の信頼関係にどのような影響を及すかの点であるが、これは申請人が被申請人の企業において占める地位と詐称した経歴の性質との関連において考えるべきものである。従つてその意思に基かないいわば不可抗力によるシベリア抑留の事実や、労働者に当然認められている組合活動をした事実をいつわつたからといつて、それ丈で直ちに申請人を排除しなければ被申請人の全労働秩序がみだれたり、被申請人との間の信頼関係が破れたりするものとは到底為し難い。けだし労働関係というものは、被用者の提供する労働力を中心として形成された関係であつて、決して使用者、被用者間の全人格的な関係ではないのであるから企業における労働秩序乃至信頼関係も、この観点から考察されることを要するのであつて、経歴を詐るという行為これは確かに正しい行為とはいえない――が直ちに労働秩序乃至信頼関係をみだるものと判断することは、既にのべたように道徳的批難と法律的評価とを混同するとのそしりを免れないからである。――してみると、被申請人が申請人を従業員として不適当と認めたことは失当であつて、本件解雇はその実質的要件をも欠くものといわなくてはならない。

五、右認定のように本件解雇はその要件を欠く無効なものであるがこのため申請人がこれが無効確認の本案判決確定に至るまで、被申請人の従業員としての地位を認められないことは、申請人のように労働のみによつて生活を維持している者にとつて償うことの出来ない損害を生ずることはみやすい道理であるから、申請人に被申請人の従業員としての仮の地位を定めるため、本件解雇の意思表示の効力を停止すべき必要があるといわなくてはならない。

よつて申請人の本件仮処分命令申請を認容し、訴訟費用につき民事訴訟法第八十九条の規定を適用して主文のとおり決定する。

(裁判官 丹生義孝 亀川清 川上泉)

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